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  • 2018.01.15

    敬具
    明けまして...

    新年を迎えて2週間
    年末年始の慌しさがようやく落ち着いてきた。
    少しずつ自分のことも考える余裕が出てきたので、今年はどんな年にしたいかを考える。
    いざ考え始めると、まずは去年何を考えたのかを思い出そうとしたのだけれど
    どうしても思い出すことが出来ない。
    自分の努力的なものを考えたような気もするが、人の考えることはたかが知れているので
    あまり気にしなくてもいいのかもしれない。
    自分は成長しているのか、少しでも前に進むことが出来てるいるのか。
    20代はそれがテーマで日々を過ごしていたような気がする。
    まだまだ若輩者、それはまだまだ足りない部分が多いと思うけれど
    知識や経験が伴うほど、僕は自分が不自由になるのを感じる。

    どんどん

    言い換えれば、体がどんどん硬く、力が入りすぎていく感覚だろうか。
    去年の夏あたりから、ちょっとずつそんなことがテーマになり始めた。
    違和感というか、もどかしいというか。
    おそらく僕は殻にぶつかっている気がしていて、それを破りたがっているのだと思う。
    頑張らなきゃいけないことや約束を守ることに力を入れて精一杯取り組んで
    それに伴った結果に後悔や反省をする。
    普通の事、普通の事なのだけれど
    僕はそれに納得がいっていないのだ。
    人工的というか、作為的というか、味気がない気がする。
    段取りをして結果を出すのはとても難しいし、神経をつかうけれど
    最近はあまりに手を入れすぎな気がするのだ。
    血が通っていないような感覚になる。
    それは自分の努力が足りないと思って、また自分の中でインプットをしていくのだが
    何かが違うような気がしてならない。
    知識や経験を得るのはとても大切なことだ。教養があって困ることはない。
    けれどそれは社会的な人間の話であって、生き物の人間の話ではない。
    小さいころから学生としての人間、社会人としての人間とそればかりで
    生き物としての自分をないがしろにしてこなかったか?
    自分の根っこの部分が置いてけぼりになっているような気がする。

    前見てよし

    僕はそれをどうにかしたくて、手本となる人を探した。
    色々な人の発言や著作を読んでみた。
    そこから僕が人間としてこう有りたいなという人が何人かいて
    共通点は空っぽな部分があることである。
    仕事上クリエイティブな人に目がいきがちなのだけれど
    目に留まって、こうなりたいなという人は
    空っぽで、自然体で、水のような感覚を持っている人。
    そこに僕は強烈な憧れを感じる。
    自分の内側で起こっていることを外側に表現しているから
    心と体のどこかに空っぽがある。
    一見、何もないようにも見える。
    けれど何もないというのは、とても自由な事だと僕は思うのだ。
    僕も空っぽになってみたい。
    水のように柔らかく、空っぽな存在になってみたい。
    と、新年の目標からこんな変な事を考えている。
    やはり人間の考えることは、たかが知れているのだ。
    来年は何を考えるのか。
    とりあえずは皆様、御年がよき年になりますよう。
    インフルエンザが流行っているので、どうかご自愛下さい。

    この記事を書いた人
    石崎 幸崇

    設計士 石崎 幸崇

    打合せではお客様の気になることや質問に豊富な知識で気さくに応えてくれます。年間100本以上の映画鑑賞をしており(99%自宅)どちらかというと彼は草食動物でありながらも、ひっそりと知的な女性を好んでいます。好きな女優:黒木あい。気になっているアーティスト:内村友美。南相馬市生まれ。大学は仙台。社長のお子さんにXmasプレゼントを贈り続けているという優しい一面も。

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